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登呂遺跡の発見を全国に伝える
国民学校教諭安本 博
毎日新聞記者森 豊
昭和18年(1943)、軍需工場の建設工事中、水田下の採土から、たくさんの木製品が出土しました。鹿島組の下請けとして工事にあたっていた小林事務所の小長井鋼太郎氏はこれを採集し、中田国民学校で一時的に保管していました。静岡市立安西国民学校教諭であり、在野の考古学者でもあった安本博氏は、これが弥生農耕集落の遺跡であり、奈良県唐古遺跡に匹敵する大発見であることに気づきました。そしてすぐに、毎日新聞静岡支局の記者森豊氏に知らせたのです。
昭和18年(1943)7月11日付の毎日新聞には、弥生文化の遺跡発見の第一報が掲載されています。新聞掲載と同時に、安本氏たちが遺跡の発見を東京の考古学者や文部省へ報告すると、帝室博物館(現国立博物館)・宮内庁・神社庁・文部省・東京の諸大学などから多くの学者が登呂の地を訪れました。しかし、戦時中ということもあり、第一次の発掘調査は簡単なものになりました。
終戦後、発掘再開を目指し、昭和21年(1946)に「静岡県郷土文化研究会」が結成されます。安本氏と森氏の両名は創設のメンバーとして、発掘再開に尽力しました。戦後の物資不足の困難のなかで、世間の注目を集めながら、たくさんの市民・学生の協力のもとで、登呂遺跡の再発掘を行うことができたことは、新聞記者として登呂を全国に発信した森氏と、教育者として郷土史の教育にあたった安本氏の存在が大きかったと言えます。