弥生の風景を見る、歩く。
登呂遺跡では、弥生時代の建物や水田が復元されています。いまから2000年前の登呂ムラの風景のなかを歩くことで、弥生時代に思いを馳せ、古代のロマンを感じることができます。
登呂遺跡では、弥生時代の建物や水田が復元されています。いまから2000年前の登呂ムラの風景のなかを歩くことで、弥生時代に思いを馳せ、古代のロマンを感じることができます。
遺跡周辺は、地面を掘るとすぐに水が染みだしてくる土地のため、地面を掘って床や壁をつくる「竪穴式住居」を建てる場所としては不向きでした。そのため登呂遺跡では、床を地面と同じ高さにして、周りにドーナッツのような盛土で壁をつくり、さらに住居の外周に排水溝を掘りめぐらせて水の侵入を防ぐ「平地式住居」がつくられました。遺跡内には、現在までに19棟以上の住居があったことが分かっています。
高床倉庫は、収穫した稲などを保管しておくために建てられました。湿気を防ぐために、地面から1.3mの高さに床を上げ、床と柱の間にはネズミ等の侵入を防止するための板「ネズミ返し」が挟み込まれています。遺跡内には、現在までに9棟以上の高床倉庫があったことが分かっています。
祭殿は平成11年(1999)からの再発掘調査の際に発見されました。倉庫と同じ高床の建物ですが、大きさが7.2m×4mもあり、登呂遺跡では一番大きな建物です。周囲からは占いで使われる「卜骨」が見つかっていることから、この場所では祭祀が行われたものと考えられます。
居住域の南東部に広がる低い場所に水田がつくられました。太い畔で区切られた大きな区画を、細い畔で小さく区切ることで、区間一面に水が行きわたるように工夫されています。大きな区画の畔や水路は、1回目の洪水の後、杭と矢板で補強されました。遺跡内には、現在までに大きな区画が約50区画見つかっています。