登呂遺跡について

登呂遺跡の発掘調査

 B29の爆撃のため壊滅的な被害を受けていた登呂に再び発掘調査の手が入る日は、昭和22年まで待つ事になります。
敗戦によって皇国史観の呪縛から解き放たれた人々は、新たに心の支えともなる正しい日本の歴史を強く求めていました。 科学的に実証していく考古学により、日本国家の起源を神話から史実へと書き換えることは、 混乱する戦後日本の再構築の第一歩となるものでありました。

 そうした情勢の中で、地元から、また中央の学会から登呂遺跡再発掘の声が高まりだし、地元では静岡県郷土文化研究会が結成され、 静岡市内の中学生をも巻き込み発掘調査の実現に向けた大きな流れの一つになりました。
考古学界では、八幡一郎氏(東京大学)が中心となり、後藤守一氏(明治大学)の提言で静岡市登呂遺跡調査会が発足しました。

今井登志喜氏(東京大学)・八幡一郎氏・大場磐雄氏(國學院大学)・駒井和愛氏(東京大学)・杉原荘介氏(明治大学) ・島村孝三郎氏(東亜考古学会)が主要メンバーとなり、人類学・地質学・動植物学・建築学・農業経済学などの各分野の学者達が これに加わり、日本で初めて各学問が連携した総合的、学際的研究が行われることになりました。

物不足のこの時期に発掘費用、宿舎、必要資材、食料などを確保することはとても至難なことでした。 文部省・静岡県・静岡市からそれぞれ5万円ずつ交付され、ようやく昭和22年7月13日に鍬入れが行われ、本格的な発掘調査が始まりました。

 そして登呂発掘の目覚しい成果が報道され世論に動かされた政府は、この発掘を国家的事業にすることを決定し、 これを契機として昭和23年4月2日に日本考古学協会が発足しました。

 その後、発掘調査は、昭和25年まで第2次〜5次にわたって行われ、昭和40年には東名高速道路建設のために第6次調査となる 緊急的な発掘調査が行われました。また現在は、遺跡の再整備のため、登呂公園内の再発掘調査を実施しています。

  • 昭和22年第2次調査3-47号住居跡スナップ 昭和22年第2次調査
    3-47号住居跡スナップ
  • 昭和25年第5次調査49号住居跡群と2区昭和25年第5次調査
    49号住居跡群と2区
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